近ごろ流行の言葉に「生理の貧困」があります。経済的事情などで生理用品を十分入手できないことを指します。コロナ禍が長引いて経済的に困窮する女性が増えてきたことが背景だとか。「そんなことで困ってらっしゃるの?」と思われた方も多いと思います。データ的に、計算すれば生涯費用はほぼ40万円となるとか。それにしても貧困はオーバーかも?
けれど女性たるもの、人類の種の保存を担う特権と、それなりの犠牲を強いられていることの、代償は要求してしかるべきです。スコットランドは生理用品の無償供与が法定され、フランスやニュージーランドはすべての学校で無料提供されています。この秋から、東京都も都立学校の女子トイレに用品を配置します。ゆっくりだが、世界は良くなっているらしい。
貧困という言葉には悲惨のイメージがあります。調査によれば、支出項目のプライオリティとして生理用品費用は、交際費・通信費・娯楽費・美容費よりも下位にランクしています。だから、買えない場合の対処法を訊くと、「交換頻度を減らす」とか「トイレやキッチンのペーパーでの代用」となります。アブナイ!ご自分の身体を大事にしないと。考えが逆さまです。
まだ地球上には女性抑圧がまかり通っています。ミソジニーmisogynyは「女性嫌悪・女性蔑視」を意味します。男性側からのミソジニーは自分らと違う異種異類を嫌悪する動物的な感覚なのかもしれません。問題は女性側のミソジニーです。
女性の敵は女性だなどと言うのではありません。女性は長い抑圧の歴史の中で虐げられてきました。自らと自らが産んだ子を守るために、時に媚び、時に追従を言って、生きていかなければなりませんでした。だからといって、それを今でも肯定していては、人間の未来に平和も幸福もありません。女性のなりをしたmisogynistになってはいけないのです。
もし、自分の娘から「これから、女性はどうやって生きていったらいいの?」と問われたら、なんと答えてあげますか? ご一緒に考えてまいりたいと思うのです。