年末年始はセンシュアルに参りましょう。かつて「月光姫のホクロは美の粒子」というお話をしたことがありました。月光姫(ジン・ジャン)は、それこそバンコクが舞台である「暁の寺」に登場するタイの姫君ですね。三島由紀夫の長篇小説『豊饒の海』は四部構成で、その三巻目。第一「春の雪」第二「奔馬」第四が「天人五衰」でした。若いころ読んだ記憶は、絢爛たる輪廻転生の物語で、終りにはすべてが夢幻となってしまうという印象でした。コロナ禍の2年近く巣ごもり生活の中で読み返してみると、また違った感慨をもちました。ご一緒に考えてみたいと思います。
『豊饒の海』は松枝清顕からの輪廻転生物語を縦糸とし、本多繁邦を主役兼語り部として、人生の海・生命の海を描いた小説となっています。作家本人も「豊饒の海は実は白昼の下の空虚の海を意味している。強いて言えば、私はそれが宇宙の虚無感が含まれていると思うし、海の豊かさも含まれていると思う。いわゆる禅語の〈時は海なり〉である」語っています。それは「天人五衰」となると―“海、名のないもの…、この無名の、この豊かな、絶対の無政府主義"となり、“消えたからには跡方もない。たとい地図の上には存在しようにも、それはもはや存在しない。半島も、船も、全く同等に「存在の他愛なさ」に属している"に変貌します。
輪廻転生とは、業によって衆生が六道(天人・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)を行きつ戻りつすることをいいます。死んでもまた蘇って次なる命を生きるロマンではなく、人と人とが殺し合い貪り食う地獄の現世を永遠に生きなければならない業苦なのです。何百年も生きる天人すらも、やがて衣服が埃と垢と汚れ、頭上の花飾りが萎えて死に至るのです。お釈迦さまはこの懊悩に満ちたサイクルから離脱して、悟りを開いて往生しろと説きました。それは当時の悲惨すぎる現実からの逃避のすすめであり、人々への救済であるための「死」でしかなかったとも言えます。 (後半につづく)