きょうびの日本では『妻のトリセツ』という本がヒットしているらしい、とか。なんと「男脳・女脳」というフレーズがいまだ流布しているのでしょうか?
脳の男女差について、2015年に発表された英国の研究結果では―6,000件を超えるMRIの解析に基づき―脳に際立った性差はなくいずれも中間的であると結論しています。イスラエルの研究でも同様でした。『妻のトリセツ』にも書かれていますが、「男女間の脳梁の太さの違い」がよく指摘されます。これは80年代の論文で、サンプル数は男性9人と女性5人によるデータからの結論であり、現在では謬説であったことが学界で定着しています。
筆者は事実を確認しないで執筆し、出版社も校閲せずに出版したのでしょうか?2002年の世界的ベストセラーに『話を聞かない男、地図が読めない女』という本がありました。いま思いおこせば、捏造と歪曲以外のなにものでもありません。世界的に#MeTooが席巻している現在です。少なくとも先進国では、この手の「俗説を科学的裏付けがあるかのように装って差別を煽る」本は、ヘイトスピーチに等しい批判を受けるに違いありません。
脳の性差でもって異性の行動形態を語ろうとするのは文化風土に固執する価値意識と、「男は男らしく、女は女らしく」の期待感の反映なのでしょう。アンコンシャスならぬ、コンシャスバイヤス(意識的な差別)です。価値観は時代とともに移り変わるものです。それを絶対化されて行動が制約されたら、どっかの国の国民みたいになってしまいます。社会的にも家庭的にも男も女もない― 各自の人格によって役割と責任を担うべきなのです。どちらかの集団に逃げ込んで埋没して安堵するのは、人格陶冶の劣化かもしれません。
わたくしは「男女差を意識しない凛々しさ」を訴えてきました。男女差よりも個体差が大きいのです。「男だから」「女だから」と括れるものありません。大きな母集団の一人となって自分を貶めてはならないと思います。
「だからこそチャンスなのだ」とも言いたいのです。世界はモノクロームではありません。LGBTQのメッカ、多様性先進国のタイにお住いの皆さまならもうお分かりですよね。「勇敢な女たれ! 優雅な男であれ!」。それこそ、センシュアルです。これからの時代のあらゆる競争に打ち勝つキーとなるに違いありません。