あれはパリに出てきて間もないころ。とある在留邦人懇親会でのおしゃべりタイム。「フランスと日本のドアの違いってご存知ですか?」と今でいうイケ爺が話しかけてきました。「フランスでは内開きで、日本では外開きなのです」。内開きなのは、いざという時にバリケードを築いて侵入者を防ぐためであり、日本のようにウェルカムのノー天気では、戦乱のヨーロッパでは生きていけなかったと、諄々とご教訓いただきました。つい最近まで、日本とヨーロッパの生活感覚が違う基なんだと信じておりました。
前回の連載で、日本は連作できる作物としての米、灌漑の必須から村落協働体という強い絆ができ、その同調圧力によって個性が消され、家屋の開放性ともなったと結論めいて考えておりました。
でも得心できません。玄関ドアが普及したのは生活の洋式化で、畳敷きから洋間、布団からベッドへの転換があります。やはり1960年代からの高度成長時代以降のこととなります。それまで長い間、日本家屋はドアではなく引き戸だったのです。ドアがないのに、どちらに開くかを国民性と結びつけて話すのは、牽強付会ではないでしょうか。
ドアは日本語で扉。門扉はお城の城門・神社の神門・お寺の山門を問わず、昔から扉の後ろに閂があって内側に開きます。外側に開く門扉の記憶はありません。外からの敵侵入を防御するのですから当然です。
なぜ玄関ドアだけは外側に開くようになっているのでしょう? たぶん公団住宅とかの大規模団地建設といったものが契機となって、日本仕様の洋式建築標準ができたのだと思われます。私なりの想像では、初期の洋風住宅はまだまだ狭かったので、靴や生活用具が邪魔して、玄関ドアを内側に開ける困難性があったのではないでしょうか。
ウォークイン・クローゼットなどが一般化して、狭さがなくなってくれば、国際標準仕様になります。それは、そんな先のことではないと思います。