金色の尖塔を頭上に戴き、透き通る薄物を胴に巻いて手を反らし、腕を蛇のようにくねらせ、ヒップを強調して、ゆるゆると官能的に踊るアプサラダンス。ヒンドゥー神話の天女アプサラスの舞いで、発祥は9世紀から15世紀まで続いたクメール王朝の宮廷といわれています。アンコールワットの壁や石柱には、多く踊り子たちのレリーフが遺されています。
カンボジアはシャムの侵略に伴いクメール王朝が滅んだ後、ずっと暗黒時代が続きました。隣国の再三の侵攻、19~20世紀はフランスや日本の帝国主義侵略に蹂躙され、つい40年前はポルポト派共産党の手による自国民大量殺戮の悲惨な時代さえありました。
アプサラの誕生はヒンドゥー神話の乳海攪拌に由来します。ヒンドゥーは12世紀前期のアンコールワットをピークとして衰退し、12世紀末から13世紀初頭にかけてのアンコールトムはすでに仏教遺跡となっています。以後カンボジアは今に至るまで敬虔な仏教国です。その事実は、異教徒の踊りであるアプサラがミレニアムの間(仏教タイのアユタヤ朝をも経て)受け継がれてきたと考えるのはどうも無理があります―何百年にもわたる絶望的な断絶です。
アプサラダンスが夜の盛り場に登場してきたのは20世紀初頭。当時はーフランス植民地時代でした! フランス統治下の傾向は支配者であるフランス人の嗜好に従属します。アンコール遺跡のレリーフを参考に、想像力いっぱいに復興―という名の創造を行ったのではないでしょうか。
ピエ・ノワールとは、ふつう北アフリカのヨーロッパ諸国植民地へ入植した白人のことを指しますが、仏印(仏領インドシナ)に彼らがいなかったわけもありません。エスプリといえば品良く聞こえますが、好色で手練れのフランス人が、嗜好を存分に発揮してオリエンタルダンスの商品化に尽くしたことは十分に感得できます。
ルネッサンス時代にイタリアで生まれたバレエはフランスで成熟します。天を仰ぎダイナミックに浮遊する、人間離れの美しさを表現するバレエ。神聖すぎて醸し出せない媚態を、どっしりと地に足をつけ腰を突き出し、緩やかに艶めかしい動きに投影した―と見るのは穿ちすぎでしょうか?