生き馬の目を抜くなんてコトバ、英語にもフランス語にもありません。コンチネンタルは鷹揚(おうよう)せまらぬ熟成の大人なのです。けれど本性は悪賢い老獪(ろうかい)なキツネかも? パリ生活20年間の折々に「花の都も闇あってこそなのか」とつくづく思いましたもの。アメリカ留学経験のある知人に話を聞いてみると、「研究機関にいたけど、出し抜かれた経験とか結構あったよ。同僚は鬱になり、中途帰国を余儀なくさせられたし」ですと。
フレネミーというコトバを知っていますか?「友だちの着ぐるみをかぶった敵」です。敵とわかっていれば警戒もし、勝負に納得もできます。しかしフレネミーは違う。日本人はお人好しで騙されやすい傾向にありますが、世界的には、他人を手放しで信じることのほうが(頭の)ワルイコなのです。ときには家族であっても信用ならない。陸続きの国境での対峙、長い間の食うか食われるか争闘。歴史の痕跡には重いものがあります。自分の身を守るのです。騙すより騙される方が悪い、性悪説万歳!「日本人は14歳の子供だ」マッカーサーの言葉がリフレインします。
ユーラシア大陸の東の果て。地震に揺れる細い島国は、長い歴史の中で侵略されることもなく、人々は自足してそれなりに生きてきました。これが奇跡でなくてなんでしょう! しかしながらグローバルの嵐は避けようがありません。詐欺でも卑怯でも勝ちは勝ち、後出しジャンケンを勝ち抜いた連中と、さまざまな争闘分野で戦いを交えなくてはいけなくなったのです。
個人としては小心翼々ながら、日本人は集団としては潔さに美を看取して生きています。薄汚くはなりたくない。考えてみてください、歴史も文化も宗教も外見も(深い人間性を除けば)なにもかもが違うのです。勝ち負けで価値を決めるなんて、絶対におかしい。価値の見方を変えていきましょう。少なくとも、まず美と優しさについては価値観の秤をわが方に傾こうではありませんか。
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