今年1番の明るいビッグなニュースはタイから。記憶に新しい「タムルアン洞窟の少年ら13人救出」は、混沌とした暗闇の世界で閃光のような輝きを放ちました。世界中のエキスパートが協力して子どもたちを救い、世界中の人々が子どもたちの命の無事を祈りました。自分の子も他人の子もない、人種も国籍も関係ありません。だって、私たちは同じ人間であり、子どもたちは次代をつくっていく存在なのです。誰の子であれ、子どもの命は大切にしていきたいと思うのは、人間の共通意識だと思います。
発想は飛んで、場面は急展開します。
今年の春、東京の目黒では悲痛極まりない事件が起きました。5歳の女の子が義父の虐待暴行の果てに死亡したあの事件です。―もうおねがい ゆるしてくださいおねがいします ぜったいやくそくします― 記者発表で女の子の反省文を読み上げた警視庁捜査一課長が、途中から嗚咽で読み通せなかったと聞きました。せつなすぎます。
この事件がそうであったかはわかりませんが、男がわが子をいたぶるのを女は黙って見ていたのでしょうか? 暴力や脅迫もあったかもしれません。しかし「女は弱し、されど母は強し」とも言うのです。男との間の1歳の男の子だけでもと思ったのか、目先の経済力を依存していたからなのか。でも方法はいくらでもあったはずなのです。
私は世間でいわれる〈男らしさ〉とか〈女らしさ〉は、どんなことなのだろうと思いました。男らしいとは「腕白でもたくましい」ことで、女らしいとは「おしとやかに慎ましい」こと? そんなこと大昔の話だったんじゃないでしょうか。
成獣のクマのオスは単独で生きています。メスは子連れもしくは単独です。オスは時にコグマを殺します。子育て中のメスは発情しないので、オスは子連れのメスに出会えばその場でコグマを殺します。メスはコグマがいなくなると発情し、子を殺したオスと交尾します。泣く泣くと言いたいのですが、そうではないのです。オスの子殺しはクマに限らず、ライオンなどでも頻繁に起きます。だからこそ、畜生というのですね。つづきは次号にて。