コロナ禍で東京移住を余儀なくされて数か月、皆様お元気にお過ごしでいらっしゃいますか。過日、ドイツ在住の友人主催の「五感を磨くオンライン美人塾」セミナーが日欧でzoom開催され、その“触感"部門の講師をつとめました。
五感とは五官(目・耳・鼻・舌・皮膚)でキャッチする視聴嗅味触の感覚です。感覚を磨く美人塾となれば、しかも“触覚から美人"なんて、どこから手をつけたらいいか正直困惑しました。
五官の階層秩序も仏典などでは目耳鼻舌皮膚の順序となっています。有名な戯れ唄に「京都三条糸屋の娘 姉は十六妹は十四 諸国大名弓矢で殺す 糸屋の娘は眼で殺す」というのがあります。絵画や映像の視覚に比べれば、共有が難しい触覚は美しさよりも心地よさの対象で“悩殺"の武器とはならなかったのかしら。
では人間にとって美は何のために存在するのでしょうか。慈悲の心という方もいます。それなら愛ですね。愛は親子兄弟に友人知人、大きな人間の輪ともなり、動物や自然をも含まれます。でも、感覚的には女男の愛情交歓がもっとも身近な例でしょうね。
私のライフワークであるセンシュアリティ(官能性)について言えば、肌感覚なしに官能性を表現することはできません。肌は中枢神経系と同様の外胚葉起源だけあって、脳神経細胞と同じような神経伝達物質が表皮細胞中にあると近年発見されています。脳が感じるだけではなく、肌そのものが感じている可能性があるのです。―触覚は視覚を超えている、skinはrealですがvisionはestimateでしかないのですから。中でも触覚の発達が抜群の指や掌は触る・つまむ・撫でる・推す・牽く・弾く・叩く・揉む・つかむetc. つかむのは皮膚だけではなく、ココロかもしれません。眼で殺す時代は終わったのです。
私は触覚表現としての美しさとはどんなものか思案します。皮膚科医としてその原石を知りたいのです。石はサイエンス畑の土というよりも、ヒューマニティの群れの中に埋もれていると思うのです。セミナーでの人気は「触覚マーケティングから考える異性の掴み方、その実践例」に集中しました。
さて、そのお話しはまたの機会にいたします(エッ、やっぱズルイ?)。