加齢による白内障といってもさほど進んではいなかった。それでも、老メガネをかけた際に襲ってくる眩暈と嘔吐感に抗し難く、私は手術を選択し、眼内多焦点レンズを入れて、自ら人体ハイブリット化の道に一歩踏み込んだのである。そこまでは、既報の通り。
あれから3ヶ月余、点眼も朝夕1種類のみとなって、いろんな制約はなくなった。するとフシギが起こった。ラクダの睫毛が、術前の(長さと密集度を持った)普通の睫毛に戻ってしまったのだ。1日6回点眼という「砂漠の砂嵐」の如き環境激変に、睫毛が対応して長い睫毛となっていたのか! しょうがないから、以前の睫毛エクステを復活した。自毛の時に楽しんでいたカラーマスカラ色とりどりとは、かくて永訣となった、残念!
夜間ライトのハレーションは全く気にならなくなった。意識しつつ目を凝らすと、光がバウムクーヘンのようだ。なんだ、オペ直後と同じ変わることはない。こっちはかつて感覚が蘇ったのではなく、新しい感覚に脳が順化したのであろう。中距離の絶妙ボヤケも明瞭に戻ったりしない。気にならないのは、環境順応の証。脳の歩み寄りがもたらしたソフトフォーカス作用によって、わが顔上のシミシワも減り、中距離で視る美男美女の数は増えた。それでは困る美容皮膚科的診察だが、至近距離で観察させてもらっているので支障はあるまい。これ、患者さんには「よりじっくり診てもらえている」と感じてもらえているようだ。これでいいのだ。
診察室内は光燦々と明るめである。私も含めて燦々は陰々を凌駕し、明は暗を打ち消して、美は気持ちを和やかにする̶。多焦点レンズは100の光を配分して、それぞれの距離に焦点を合わすので全般的にコントラストが低下する。薄暗さが不明瞭さになってはいけない。元気は明るさともなる。 煩しかっただけではなく、眩暈すらもたらした老メガネとは、キッパリとサヨナラできた。不完全さをアレコレ悩んで気を揉むよりも、今あることのありがたさに感謝することから始めればいい。私にとっての「目の冒険」は<脳内組み替え気づきの旅>であったかもしれない。(了)