茶道の心得から出た「一期一会」は、人との出逢いを大切にする、いかにも日本らしい諺です。私はかつて、鮮烈な言葉の洗礼を受けて目から鱗を落とし「一語一会」の経験をしました。“弾丸パリ出張"した折のレセプションで、在仏のながい夫君仏人の気安い同年配から、投げかけられたコトバです。
「あなた、パリのマダムは金や時間をかけてセッセとカラダを磨いているのに、日本女性ときたら顔ばかり。カラダの美しさにはまるっきり関心がないみたいと、さっきおっしゃってたでしょ。日本では顔がすべてで、カラダに対する実体的な感覚が乏しいのよ。カラダの存在が透明と言ったらいいのかしら」
爆弾のようなインプレッションでした! 大和マダムに存在するものは顔と頭の中の脳ミソだけ。となると、パートナーとのセックスレスも当然であるし、スキンシップレスも無関心。加えて極度の紫外線嫌悪だから、顔のケアには何十万も出すけれど、服で隠れる部分に金を費やすのはもったいない。ランジェリーにも、香りにも関心は薄く……。デリケートゾーンケアの世界的趨勢への立ち遅れにも、そこらあたりに原因があるようです。
バブルで日本中が浮かれ、皆がジュリ扇振っていた頃に流行っていた合い言葉は「脱いでもすごいのよ」。ボディコン、スリミングジェル、スヴェルトの爆発的ヒット。現代に比べたら、時代の景色は身体感覚を前面に出していました。
年齢を積んでいけば、若見えするとはいえ、脆さをアピールして庇護を誘い出す、KAWAIIベビーフェイス勝負も逆に痛い。更年期以後の日本女性の魅力が、尻すぼみになってしまうかのように思われるのは、ハッチャキが足りないのです。
センシュアルな魅力の根源は、身体に張り巡らされた神経末端からの信号である“センス"の取得にかかっています。エイジングの魅力は美の総体論の獲得です。あざとくとも遠目の勝負から始めましょう。顔の細かい美しさは、「寄って来てこそ、なんぼではないか」と。
南の乳と蜜の流れる国の皆さま! ボディケアに執心してみませんか? 成熟したからこその、全身性センシュアルな魅力を発散すべく、ご一緒に張り切ろうではありませんか!