フランス人にとって魂の拠り所とも思えるパリのノートルダム大聖堂、不慮の出火から8週間余、初夏となったパリを訪れた際にその姿を目にしてまいりました。
夕方の7時ながら日はまだ高く、夏至のような明るい空でした。残された修復工事の足場に火災の傷跡を隠すビニールカバー、痛々しさに当惑するばかりです。突如私はその光景に息を呑み、歩みを止めました。回廊のステンドグラスがなくなり、ガラスの空間が抜けて、すっぽり青空となっているのでした。なんという開放感でしょう!
解放感でもあり、デジャヴでもありました。ノルマンディのジュミエージュ修道院あるいはタルコフスキーの映画の舞台だったトスカーナのサンガルガーノ修道院―壁の石造りだけが遺る美しすぎる廃墟。
「ノートルダムを復興させずに、そのままにして自然にまかせる」という選択肢を夢想しました。気の遠くなりそうな長い時間をかけて、自然に朽ちて崩落していく―デカダンの美そのものです。
戦後フランスは戦勝国となりましたが、世界の光は美も力も大西洋の向こうのアメリカに持っていかれました。フランスは植民地に固執し、ベトナムやアルジェリアの独立を封殺しようとして失敗します。戦闘の敗北にとどまらない不正義の汚名をも甘受させられた撤退でした。欧州は歴史の陰翳という重みで辛うじて“欧米"の一方にとどまりました。それがこのところ、どうも危うい。EU成立時の「世界の中心が戻ってくる」高揚感はもうありません。普仏戦争以来の恩讐を超えて、ドイツと仲良くなったから大丈夫となりませんでした。ブレグジットもヤケッパチですし、欧州が不安定で揺らいでいます。
ノートルダムの炎上もテロや災害ではなく日常の気の緩みからです。欧州の人々は20世紀末から今までの間を、ひょっとすると「2度目のベルエポック」と思っていたのかもしれません。そうであれば、それは錯覚であり喜劇です。
けれどノートルダム大聖堂の窓からのぞく青空を目にした瞬間、わたくしは確信しました。「歴史の流れに何度飲み込まれようと、美しいものは美しさを失うことはない。たとえ傷を負っても。人々の意志が挫けることがなければ必ず蘇生することは間違いない」と。大切なことは人としての潔さ、慎むべきは心の驕りです。センシュアルはもっと深いところにあるのです。