週刊誌のフリン砲がパンパン鳴っています。「他人の色恋沙汰でなぜ騒ぐ?」。2年前に恋愛大国フランスの優雅とゲスの勘ぐりの情けなさを評しましたが、今も状況は変わりません。
記紀万葉に記された、古き昔のわが国人たちの恋や性は大らかで天真爛漫―好きだったらスキ、寝たければ寝る、いたるところの歌垣の野や山で。倫理や道徳はみんな海の向こうからやってきました。チャペルでは「病める時も健やかなるときも愛し尽くす」と誓います。でも、どこに神がいるかもご存じない。神にすがるよりも「籍さえ入ったらこっちのもの」、カミきれ1枚こそが頼りのツナです。なんと潔く清々しいことでしょう!
そんな日本人が他人の不倫を責めたてるはずがない。享楽している他人をやっかみ、嘴を挟み剰え道徳的非難までするなんて。長い間の農耕社会、同調圧力は今もって強いものがあります。でも「人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られ死んじまえ」の粋な伝統は生きているはず!?
週刊誌フリン砲の標的は芸能人や政治家がメイン。ツンとして一般人を見下している連中です。売れたら何でもいいとは言え、メディアはわたくしたちの意識下にあるドス黒い嫉妬心を抉り出して白日に晒します。「ほうら、また喰らい付いた!」と汚れたゲスな心情を嘲笑しているのですよ。
どう対抗すればいいか、答えは一つ。『ヨハネ福音書』第8章は「汝らのうち罪なき者、石もてこの女を打て」と説いています。自らを省みることなく、他者の道徳的違背を責める資格は誰にもありません。しかし許せないと? あなたは昼メロにはまり、悲恋を夢見たことはありませんか。史上最高の恋愛小説はトルストイの『アンナ・カレーニナ』と言われます。
恋は素敵です。道を外れてもいいかどうかは本人次第、他人が容喙できることではありません。ただ当事者の家族だけは指弾する権利があります。そうでなければヒトゴト、無関心のフリをするのも大人です。
わたくしたちを冷笑しているメディアには、もっと子どもたちの将来に繋るべきことを提言してもらいたいのです。不可欠の存在であるメディアなのですから、その劣化を救うささやかな一つくらいはしてもいいと思いませんか?