森高千里が歌う「私がオバサンになっても」がリリースされたのは1992 年のことでした。時代はバブルが91 年に弾けていたことも知らず“ジュリアナ、お立ち台、ジュリ扇、ボディコン”に浮かれていました。
私は、いま世の中で用いられている「オバさん」が、ある一定の女性層への、憐みとともに嘲弄(あざけてバカにする)をも含むことばとなっていることを認識
しています。極端な場合、自虐的に使われることもあります。「オバさん」の呼び名は徹底撲滅すべき。#Time’s Up(もう終わりにしましょう)ではありませんか?
オバさんの対となるオジさん。30 代男性読者をターゲットにした某証券会社のPR 誌から「オジさん化の原因は何か」の質問を受けたことがありますが、オジさんとオバさんは月とスッポンです。オジさんは努力で「おじさま」になれます。世間の機微を知り金もそれなりにあるとなれば、エレガントそのものです。オバさんも「おばさま」になれる? ホストクラブでなれても財布が軽くなるだけのことです。
牢固な男性社会は、加齢化する女性を不遇に直面させます。男性にとってのエイジングが成熟した大人の魅力を醸す可能性と考えられても、女性のそれは若さの美しさが褪せてくることへの虚しい抵抗でしかないと思われています。そんなことではいけません!
第一歩はオバさんラベリングを剥がすこと。まず自らをオバさんとは思わず、ジョークにせよ「あたしオバさんだから」を口にしてはいけません。次に若いあなた、一見くたびれたようなアラフォーの女性を見て「やだわ。女を忘れたオバさん」と指をさし、派手に着飾っているアラフィフを見て「オバさんのくせにイタイわ」と失笑したことありませんか。天に唾する行為です。自分の未来に呪いをかけてどうするのです。同性が同性を嘲弄したんでは、娘も孫娘も男性社会で呻吟するままです。
オバさんなんて言葉は、近代以前の美しい日本語には存在しません。つい最近できた低俗なコトバですから、概念そのものをなくしてしまえばすぐ死語となります。
オバさんと呼ばない、呼ばせない! センシュアルであり続けることのストラテジーです。。