この2週間で、私の人生は大きく動きました(2025年3月現在)。今まで政治には全く興味がなく、むしろ「選挙カー、まじうるさい」「襷? 格好悪い(偽善にしか見えない)」と思っていた側でした。それが、今や私はそのど真ん中に立っています。
理由はシンプルです。「社会をより良くするために、私自身がもっと学び、発信していく決意をした」から。少し政治を勉強しただけで、日本の現状が見えてきました。
なんだこのアナログな昭和頭は。時代はとっくに令和だというのに、なぜこんなにも思考がアップデートされていないのか。なぜデータを読まない? 読めないのか? 未だに忖度と空気の政治なんて、日本はあとわずかの未来で、旧石器時代を生きることになります。そしてその壮大なツケは国民に回ってきます。
でも、ふと気づきました。なぜ今まで私は政治に無関心だったのか? それは、「政治と宗教の話はするな」と教えられて育ったからでした。「政治の話はタブー」「面倒くさいから触れない方がいい」そう思い込んでいたのです。
でも今なら、はっきりと言えます。これは「哲学をさせない国民」を作るための刷り込みだったのかもしれない、と。考えない国民を作ることで、支配しやすくする。まるで、国民を駒のように扱うかのような、長年の構造的な仕掛けだったのではないか?
私は「センシュアル・エイジング」をテーマに活動してきました。それは、「年齢を重ねることを楽しみ、心身ともに豊かに生きる」という考え方です。この視点で政治を見ると、もっと違うものが見えてきます。健康に長生きできる環境は整っているでしょうか? 美しく年を重ね、人生を楽しめる社会になっているのでしょうか?
医療・健康・社会の未来を見つめる中で、今まで以上に“センシュアル・エイジング"の大切さを実感しています。それは「自分の人生を、自分で選択し、知恵と感性で豊かに生きること」に他なりません。だからこそ、考え、学び、行動することが大切です。それこそが、「センシュアル・エイジング」の真髄であり、私がこれからも大切にしていく、生き方そのものなのですから。