特集記事 タイで活躍する日本人サッカー選手2022

タイで活躍する日本人サッカー選手2022

Jリーグで活躍していた日本人選手が、実は世界のサッカーリーグに数多く移籍しているんです。今回は、WOM Bangkok がスポンサーを務めているYUKIフットボールアカデミーを主催している大久保剛志選手にご協力いただき、タイリーグで活躍する選手にあれこれを聞いてみました!

T1はTOPリーグ
T2は2部リーグ
T3は3部リーグ(大学のチーム等も参戦。今シーズンはコロナの影響を受けてT4リーグと統合)

馬場悠企

Yuki Bamba

●所属チーム: ランパーンFC
●誕生日: 1986年8月2日
●血液型: A型
●出身地: 滋賀県近江八幡市
●家族構成: 父・母・姉・姉・兄
●経歴: 近江兄弟社中学→草津東高校→京都産業大学→Sagawa shiga→スパンブリーFC(以降全てタイ)→バンコクFC→チョンブリーFC→BBCU→タイ・ホンダFC→ナコンパトムユナイテッド→トラートFC→BGPU→チェンマイFC→ネイビーFC→ランパーンFC

Q1 サッカーを始めたきっかけと、ここまで続けてきた理由を教えてください

父がスポーツ少年団の監督をしていたのがキッカケです。兄もサッカーをしていたのでいつも一緒に連れて行ってもらいチームに混ぜてもらっていました。

Q2 子供時代、ご両親や周りの大人たちはどのようなサポートをしてくれましたか?
また、どのようなサポートをしてほしかったですか?

父がJFAの指導者ライセンスを持っており、中学校の外部コーチをしていたこともあって、小さい頃に基礎をたくさん教えてもらいました。アビスパ福岡のU12に入ってからは、母が遠征に送ってくれたり、試合のビデオを撮って、それを父が見て指摘するみたいな流れでした。友達の親も似たような人が多かったので、当たり前のように思っていましたが、U15くらいから、自分の家が熱心なんだなーと気づいて少し思春期真っ只中の僕にとってはうっとうしく感じることもありましたが、今考えるとありがたいなと思います。

Q3 学生時代、スポーツと勉強を両立できましたか?
また、それ以外に何か時間を費やしていたことはありますか?(アルバイト、恋愛など)

サッカー人生で1番夢中になってサッカーをしていました。朝練に毎日行って2時間はボールを蹴っていて、夜は5000mを週5で走っていました。

Q4 どんな高校生でしたか? 高校時代のサッカーにまつわる想い出を教えてください

成績は悪くなかったですが、サッカーのおかげでまともに受験することなく高校、国立大学、と進学することができました。テスト前は勉強しましたが、両立するほど勉強してないです。英語だけ苦手で塾に通ったけど全然ダメでした。なのに自分が今海外にいて驚きます。大学時代、1年だけマクドナルドでアルバイトをしていましたが、プロサッカー選手になれそうだと思ったのでバイトを辞め、食事や睡眠時間を優先し、サッカー漬けの学生時代を送りました。

Q5 自分が出ていた試合の中で、印象に残っているシーンを教えてください(複数可)

まずはプロデビューした試合ですね! 大学4年生の時にサガン鳥栖の特別強化指定選手になり、その年J1初挑戦だったのですが、第3節で横浜F・マリノスとの試合で、1点差で勝っている状況でディフェンスの枚数を増やして残り時間を守り抜く場面で試合に出ました。満員の観客の声援、相手も有名選手ばかり、果敢に攻め込まれるのを必死で跳ね返したのを覚えています。J1リーグ初勝利に貢献出来、選手、監督、スタッフ、ファンサポーター、スタジアムが1つになって喜べた達成感がプロって本当に凄いなと思いました。2つ目は日本代表としてウルグアイ代表と対戦した時。その経験はどの試合よりも刺激的で、あっという間でした。試合前に国家を歌ったこと、ネガティブなことも全て夢のような時間でした。

Q6 過去に影響を受けた監督は誰ですか? またその理由も教えてください

サガン鳥栖時代の尹晶煥監督(現在ジェフユナイテッド市原・千葉の監督)です。日本はボールを保持しながら攻めるスタイルが好まれますが、ユン監督は「うちのチームにスーパースターはいない、他のチームより下手なんだから、もっと走って、身体を張って、相手が嫌がるぐらい闘え」と言っていて、Jリーグの中でも練習が過酷な事で有名でした。監督と一緒にプレーすると、とんでもないテクニックやパスが出てきて、日々の練習とのギャップに凄く驚いたのを覚えています。上位クラブスター選手がいるチームとも互角以上の試合をできていたし、限界を超えて頑張れる、あと少し味方のために走る、そういう事をやっていると不思議とボールが味方ボールになったり、決定的なチャンスにボールがきたりと、技術だけじゃなく、体力とメンタル的なところでも闘う事ができるようになりました。

Q7 海外で、日本とは違うびっくりカルチャーを体験したと思います。そのエピソードを教えてください

監督が練習時間になっても来ない、ということがタイらしくて驚きました。日本では練習2時間前くらいから監督、スタッフは準備しています。毎日30分、遅い時は1時間近く来なくて、来てから練習のマーカーなどを置き始めるので、いつになったら始まるんだろうと困惑しました。最初は逆算してウォーミングアップして準備していましたが、今では自分のトレーニングやケアに時間を使うように。タイはマイペンライとサバイサバイですね。

Q8 休日は何をして過ごしていますか? お勧めのカフェやレストランも教えてください

妻がYouTubeをやっていて、レストランやカフェ、観光地に行ったり日常を撮影しながらタイを満喫しています。Kouen Sush iBarというブッフェにはまってよく行きました

Q9 行ってみたいタイ国内旅行先はどこですか? またその理由を教えてください

プーケットに行ってみたいです。

Q10 サッカー選手にならなかったとしたら、どんな仕事をしていると思いますか? また、興味のある仕事はありますか?

大学で教員免許をとったので、中学か高校の先生になってたかもしれないです。

Q11 サッカーが大好きな子供たちへ、メッセージをお願いします

僕にとってサッカーは人生の全て。サッカーを通して友達や先輩・後輩ができたし、目標に向かって努力したし、失敗もしました。その出会いや経験が人生を助けてくれています。自分を育ててくれている保護者の方が働いたお金でサッカーさせてもらっている、という感謝の気持ちを忘れずに、全力でサッカーを楽しんでください!

坂井達弥

Tatsuya Sakai

●所属チーム: ネイビーFC
●誕生日: 1990年11月19日
●血液型: AB型
●出身地: 福岡県
●家族構成: 妻
●経歴: アビスパ福岡U12→アビスパ福岡U15→東福岡高等学校→鹿屋体育大学→サガン鳥栖→松本山雅FC→サガン鳥栖→V・ファーレン長崎→大分トリニータ→モンテディオ山形→サムットプラカーンシティFC(タイ)→ネイビーFC(タイ)

Q1 サッカーを始めたきっかけと、ここまで続けてきた理由を教えてください

6歳年上の兄がサッカーをしていて、物心ついたときにはサッカーボールで遊んでいました。今まで続けてこれたのは育成年代でサッカーが純粋に楽しかったことと、大人になって戦術など、サッカーの深い部分を知り、より楽しくなったからだと思います。

Q2 子供時代、ご両親や周りの大人たちはどのようなサポートをしてくれましたか?
また、どのようなサポートをしてほしかったですか?

父がJFAの指導者ライセンスを持っており、中学校の外部コーチをしていたこともあって、小さい頃に基礎をたくさん教えてもらいました。アビスパ福岡のU12に入ってからは、母が遠征に送ってくれたり、試合のビデオを撮って、それを父が見て指摘するみたいな流れでした。友達の親も似たような人が多かったので、当たり前のように思っていましたが、U15くらいから、自分の家が熱心なんだなーと気づいて少し思春期真っ只中の僕にとってはうっとうしく感じることもありましたが、今考えるとありがたいなと思います。

Q3 学生時代、スポーツと勉強を両立できましたか?
また、それ以外に何か時間を費やしていたことはありますか?(アルバイト、恋愛など)

成績は悪くなかったですが、サッカーのおかげでまともに受験することなく高校、国立大学、と進学することができました。テスト前は勉強しましたが、両立するほど勉強してないです。英語だけ苦手で塾に通ったけど全然ダメでした。なのに自分が今海外にいて驚きます。大学時代、1年だけマクドナルドでアルバイトをしていましたが、プロサッカー選手になれそうだと思ったのでバイトを辞め、食事や睡眠時間を優先し、サッカー漬けの学生時代を送りました。

Q4 どんな高校生でしたか? 高校時代のサッカーにまつわる想い出を教えてください

高3の時、プロになるのは厳しいと感じて、サッカーが強い私立大学に行こうと思いましたが、当時の総監督から鹿児島の大学に行けと言われ、鹿児島にはプロチームや日本代表のキャンプ地があることもあって、高校卒業する前から大学生に混ざってプロとの練習試合をたくさん経験することができました。そこで、自分の力は通用する、大学卒業後はプロになれる、と確信しました。

Q5 自分が出ていた試合の中で、印象に残っているシーンを教えてください(複数可)

まずはプロデビューした試合ですね! 大学4年生の時にサガン鳥栖の特別強化指定選手になり、その年J1初挑戦だったのですが、第3節で横浜F・マリノスとの試合で、1点差で勝っている状況でディフェンスの枚数を増やして残り時間を守り抜く場面で試合に出ました。満員の観客の声援、相手も有名選手ばかり、果敢に攻め込まれるのを必死で跳ね返したのを覚えています。J1リーグ初勝利に貢献出来、選手、監督、スタッフ、ファンサポーター、スタジアムが1つになって喜べた達成感がプロって本当に凄いなと思いました。2つ目は日本代表としてウルグアイ代表と対戦した時。その経験はどの試合よりも刺激的で、あっという間でした。試合前に国家を歌ったこと、ネガティブなことも全て夢のような時間でした。

Q6 過去に影響を受けた監督は誰ですか? またその理由も教えてください

サガン鳥栖時代の尹晶煥監督(現在ジェフユナイテッド市原・千葉の監督)です。日本はボールを保持しながら攻めるスタイルが好まれますが、ユン監督は「うちのチームにスーパースターはいない、他のチームより下手なんだから、もっと走って、身体を張って、相手が嫌がるぐらい闘え」と言っていて、Jリーグの中でも練習が過酷な事で有名でした。監督と一緒にプレーすると、とんでもないテクニックやパスが出てきて、日々の練習とのギャップに凄く驚いたのを覚えています。上位クラブスター選手がいるチームとも互角以上の試合をできていたし、限界を超えて頑張れる、あと少し味方のために走る、そういう事をやっていると不思議とボールが味方ボールになったり、決定的なチャンスにボールがきたりと、技術だけじゃなく、体力とメンタル的なところでも闘う事ができるようになりました。

Q7 海外で、日本とは違うびっくりカルチャーを体験したと思います。そのエピソードを教えてください

監督が練習時間になっても来ない、ということがタイらしくて驚きました。日本では練習2時間前くらいから監督、スタッフは準備しています。毎日30分、遅い時は1時間近く来なくて、来てから練習のマーカーなどを置き始めるので、いつになったら始まるんだろうと困惑しました。最初は逆算してウォーミングアップして準備していましたが、今では自分のトレーニングやケアに時間を使うように。タイはマイペンライとサバイサバイですね。

Q8 休日は何をして過ごしていますか? お勧めのカフェやレストランも教えてください

妻がYouTubeをやっていて、レストランやカフェ、観光地に行ったり日常を撮影しながらタイを満喫しています。Kouen Sush iBarというブッフェにはまってよく行きました。

Q9 行ってみたいタイ国内旅行先はどこですか? またその理由を教えてください

プーケットに行ってみたいです。

Q10 サッカー選手にならなかったとしたら、どんな仕事をしていると思いますか? また、興味のある仕事はありますか?

大学で教員免許をとったので、中学か高校の先生になってたかもしれないです。

Q11 サッカーが大好きな子供たちへ、メッセージをお願いします

僕にとってサッカーは人生の全て。サッカーを通して友達や先輩・後輩ができたし、目標に向かって努力したし、失敗もしました。その出会いや経験が人生を助けてくれています。自分を育ててくれている保護者の方が働いたお金でサッカーさせてもらっている、という感謝の気持ちを忘れずに、全力でサッカーを楽しんでください!

村上一樹

Kazuki Murakami

●所属チーム: シーサケットFC
●誕生日: 1987年12月21日
●血液型: O型
●出身地: 愛媛県
●経歴: 屋島サッカースポーツ少年団→西条北中サッカー部→西条高校サッカー部→広島大学体育会サッカー部→FC岐阜→チェンライユナイテッド(以降全てタイ)→PTTラヨーン→アントーンFC→チャイナートホーンビル→シーサケットFC

Q1 サッカーを始めたきっかけと、ここまで続けてきた理由を教えてください

幼稚園に通っている時に、先生が遊びの感覚で教えてくれました。当時は野球やラグビーもしていましたが、小学生高学年からはサッカーだけをするようになりました。

Q2 子供時代、ご両親や周りの大人たちはどのようなサポートをしてくれましたか?
また、どのようなサポートをしてほしかったですか?

小学6年になる時に、香川から愛媛に転校することになりましたが、両親が同じチームで続けさせてあげたいと言ってくれて、毎週土日だけ香川まで車で2時間かけて練習に連れて行ってくれました。そのおかげで、チームは県大会で優勝し全国大会に出場しました。

Q3 学生時代、スポーツと勉強を両立できましたか?
また、それ以外に何か時間を費やしていたことはありますか?(アルバイト、恋愛など)

元々勉強は要領良く出来たタイプだったので、特別何かした訳ではないですが、大学まで進学する事が出来ました。昔からサッカーに打ち込んできましたが、大学に入ってからはお酒を飲む楽しさも覚えました。

Q4 どんな高校生でしたか? 高校時代のサッカーにまつわる想い出を教えてください

とにかくサッカー選手になることが夢だったので、それに向けて毎日諦めずにやってきたからなれたと思っています。ただ、なることが夢になってしまい、なった後にどうしたいかをもっと考えていれば良かったと今は思っています。

Q5 自分が出ていた試合の中で、印象に残っているシーンを教えてください(複数可)

タイに来て、試合中にベンチの裏に銃を持った警備のような人が待機していた時や、監督に呼ばれていくと携帯でチームのオーナーからのLINEを見せられて戦術を伝えられた時。ここはゲームの中の世界かと思いました(笑)。

Q6 過去に影響を受けた監督は誰ですか? またその理由も教えてください

特に中学の部活の先生には、人としてどうあるべきかを教えてもらいました。今まで関わっていただいた監督や指導者の方は挨拶や上下関係、感謝することなどサッカー以外のことも教えてくれたので、恵まれていたと思います。

Q7 海外で、日本とは違うびっくりカルチャーを体験したと思います。そのエピソードを教えてください

タイの人は家族や恋人に対して素直に気持ちを言葉や行動で現すのがすごいと思います。父の日や母の日に愛してると言ってハグしたりするのを見て、いいなぁと思いながらも、自分が親にするのはまだ恥ずかしいです。笑

Q8 休日は何をして過ごしていますか? お勧めのカフェやレストランも教えてください

休日は基本的にジム一択です! 少しずつ上がっていく重りの量。浮かび上がる筋肉のライン。減っていく体脂肪率。それらに酔いしれています(笑)。

Q9 行ってみたいタイ国内旅行先はどこですか? またその理由を教えてください

チェンライです。過ごしやすい気候で綺麗な山や自然に囲まれ、優しい人達も相まってマイナスイオンで溢れています。観光地も多いですが物価も安く、週末旅行にもオススメです。

Q10 サッカー選手にならなかったとしたら、どんな仕事をしていると思いますか? また、興味のある仕事はありますか?

学校の先生の資格が欲しいと思い、専門教科以外の単位は大学で取得しました。サッカー関係なく子どもと遊ぶのも好きなので、何か子ども達と関わる職についていたかもしれません。

Q11 サッカーが大好きな子供たちへ、メッセージをお願いします

サッカーを通して何を学ぶかということが大切だと思いますが、それは後になって気付くことかもしれません。サッカーに向き合い楽しんで、サッカーを通して生まれる家族や友達との時間を大切にしてほしいです。

坂井大将

Daisuke Sakai

●所属チーム: サムットプラカーンシティFC
●誕生日: 1997年1月18日
●血液型: A型
●出身地: 長崎県
●家族構成: 妻
●経歴: JFCレインボー長崎→大分トリニータU-15→大分トリニータU-18→大分トリニータ→AFCTUBIZE(ベルギー)→アルビレックス新潟→ザスパ草津群馬→ガイナーレ鳥取→サムットプラカーンシティFC(タイ)日本代表歴:U-16、U-17(W杯出場)、U-18、U-19、U-20(W杯出場)、U-21

Q1 サッカーを始めたきっかけと、ここまで続けてきた理由を教えてください

幼稚園に通っている時に、先生が遊びの感覚で教えてくれました。当時は野球やラグビーもしていましたが、小学生高学年からはサッカーだけをするようになりました。

Q2 子供時代、ご両親や周りの大人たちはどのようなサポートをしてくれましたか?
また、どのようなサポートをしてほしかったですか?

小学6年になる時に、香川から愛媛に転校することになりましたが、両親が同じチームで続けさせてあげたいと言ってくれて、毎週土日だけ香川まで車で2時間かけて練習に連れて行ってくれました。そのおかげで、チームは県大会で優勝し全国大会に出場しました。

Q3 学生時代、スポーツと勉強を両立できましたか?
また、それ以外に何か時間を費やしていたことはありますか?(アルバイト、恋愛など)

元々勉強は要領良く出来たタイプだったので、特別何かした訳ではないですが、大学まで進学する事が出来ました。昔からサッカーに打ち込んできましたが、大学に入ってからはお酒を飲む楽しさも覚えました。

Q4 どんな高校生でしたか? 高校時代のサッカーにまつわる想い出を教えてください

とにかくサッカー選手になることが夢だったので、それに向けて毎日諦めずにやってきたからなれたと思っています。ただ、なることが夢になってしまい、なった後にどうしたいかをもっと考えていれば良かったと今は思っています。

Q5 自分が出ていた試合の中で、印象に残っているシーンを教えてください(複数可)

タイに来て、試合中にベンチの裏に銃を持った警備のような人が待機していた時や、監督に呼ばれていくと携帯でチームのオーナーからのLINEを見せられて戦術を伝えられた時。ここはゲームの中の世界かと思いました(笑)。

Q6 過去に影響を受けた監督は誰ですか? またその理由も教えてください

特に中学の部活の先生には、人としてどうあるべきかを教えてもらいました。今まで関わっていただいた監督や指導者の方は挨拶や上下関係、感謝することなどサッカー以外のことも教えてくれたので、恵まれていたと思います。

Q7 海外で、日本とは違うびっくりカルチャーを体験したと思います。そのエピソードを教えてください

タイの人は家族や恋人に対して素直に気持ちを言葉や行動で現すのがすごいと思います。父の日や母の日に愛してると言ってハグしたりするのを見て、いいなぁと思いながらも、自分が親にするのはまだ恥ずかしいです。笑。

Q8 休日は何をして過ごしていますか? お勧めのカフェやレストランも教えてください

休日は基本的にジム一択です! 少しずつ上がっていく重りの量。浮かび上がる筋肉のライン。減っていく体脂肪率。それらに酔いしれています(笑)。

Q9 行ってみたいタイ国内旅行先はどこですか? またその理由を教えてください

チェンライです。過ごしやすい気候で綺麗な山や自然に囲まれ、優しい人達も相まってマイナスイオンで溢れています。観光地も多いですが物価も安く、週末旅行にもオススメです。

Q10 サッカー選手にならなかったとしたら、どんな仕事をしていると思いますか? また、興味のある仕事はありますか?

学校の先生の資格が欲しいと思い、専門教科以外の単位は大学で取得しました。サッカー関係なく子どもと遊ぶのも好きなので、何か子ども達と関わる職についていたかもしれません。

Q11 サッカーが大好きな子供たちへ、メッセージをお願いします

サッカーを通して何を学ぶかということが大切だと思いますが、それは後になって気付くことかもしれません。サッカーに向き合い楽しんで、サッカーを通して生まれる家族や友達との時間を大切にしてほしいです。

小野悠斗

Yuto Ono

●所属チーム: サムットプラカーンシティFC
●誕生日: 1991年9月28日
●血液型: B型
●出身地: 神奈川県横須賀市
●家族構成:父・母・弟
●経歴: 城北ファイターズ→横浜Fマリノス追浜→横浜Fマリノスユース→NECAXA(メキシコ)→CELAYA(メキシコ)→Veracruz(メキシコ)→Sanluis(メキシコ)→FC岐阜(日本)→サムットプラカーンシティFC(タイ)

Q1 サッカーを始めたきっかけと、ここまで続けてきた理由を教えてください

両親に色々なスポーツに触れさせてもらった中で、一番サッカーに熱中し、親友に誘われて少年団の練習へ行き、ますますサッカーに熱中しました。

Q2 子供時代、ご両親や周りの大人たちはどのようなサポートをしてくれましたか?
また、どのようなサポートをしてほしかったですか?

父親も僕が少年団に入ると同時にコーチを始めました。サッカーでは特に何か言われることはなかったのですが、私生活ではとても厳しく、私生活がしっかりできないとサッカーをさせてもらえませんでした。大人になってから、それがとても大事な事だと気付かされ、感謝してます。

Q3 学生時代、スポーツと勉強を両立できましたか?
また、それ以外に何か時間を費やしていたことはありますか?(アルバイト、恋愛など)

勉強が苦手でした。5段階中3は取らないとサッカーの練習に行けなかったので、ぎりぎりオール3くらいでした。学生時代、サッカー以外に熱中したものは特にないです。朝学校に行って夕方から夜にかけて練習だったので家に帰って寝るだけでした。週に一回休みがありましたがサッカーをしていました。

Q4 どんな高校生でしたか? 高校時代のサッカーにまつわる想い出を教えてください

分岐点は高校卒業時に、自分から色々なチームに道場破りみたいに練習参加をし、自ら勝ち取りに行った時だと思います。

Q5 自分が出ていた試合の中で、印象に残っているシーンを教えてください(複数可)

メキシコ時代、自分の得意としているFKで初ゴールを決めたことです。あと、FC岐阜時代、当時J2の試合で名古屋グランパスと試合をした時、スタジアムが超満員になり、そこで試合に出場できたのが印象に残ってます。

Q6 過去に影響を受けた監督は誰ですか? またその理由も教えてください

●ミゲルフエンテス監督(東京オリンピックメキシコ代表コーチで来日)。プロ生活初めての監督で、この方に出会って色々なサッカーのことを教わりました
●大木武監督(現ロアッソ熊本監督)。FC岐阜時代にお世話になり、サッカーの深さを教えてもらい、キャプテンまでさせてもらって感謝しかないです
●石井正忠監督(現ブリーラムユナイテッド監督)。サムットプラカーンへ呼んでいただき、改めて人間力の深さを教えていただきました

Q7 海外で、日本とは違うびっくりカルチャーを体験したと思います。そのエピソードを教えてください

メキシコもタイも、とても家族を大事にするという部分。海外に出る前の自分と出た後の自分は大きく変わりました。

Q8 休日は何をして過ごしていますか? お勧めのカフェやレストランも教えてください

嫁とカフェ巡りをしたり、美味しいご飯を食べにいきます。たまにゴルフ!

Q9 行ってみたいタイ国内旅行先はどこですか? またその理由を教えてください

サムイ島とチェンマイ。旅行が好きで、パタヤ、サメット島、チャン島、リペ島などの島々やカオヤイの山の方も旅行にいきました。サムイ島のビーチでゆっくりしたいのと、チェンマイでカフェ巡りをタイにいるうちにしたいです。

Q10 サッカー選手にならなかったとしたら、どんな仕事をしていると思いますか? また、興味のある仕事はありますか?

サッカー選手にならなかったら大工さんになってると思います。お祖父ちゃん、親父と2人とも大工さんで職人家系なので。

Q11 サッカーが大好きな子供たちへ、メッセージをお願いします

いつ何時でも本当にサッカーを楽しんでほしい。サッカーは試合に勝てば楽しいし、負ければ悲しい。自分のプレーがうまくいったり、いかなかったり。けど、どんな時も好きな気持ちさえ忘れなければきっと良い事がある。サッカーの神様はいると思います。そして普段から一緒にいる仲間や両親を大切に。サッカーは1人ではできないスポーツだから。プロサッカー選手目指して頑張ってください。

大久保剛志

Goshi Okubo

●所属チーム: ネイビーFC
●誕生日: 1986年6月14日
●血液型: A型
●出身地: 宮城県岩沼市
●家族構成: 妻・息子
●経歴: 岩沼西スポーツ少年団→ベガルタ仙台ジュニアユース→ベガルタ仙台ユース→ベガルタ仙台→ソニー仙台FC→モンテディオ山形→バンコクグラスFC(タイ)→PTTラヨーン(タイ)→京都サンガF.C.→MOFカスタムズユナイテッド(以降全てタイ)→ネイビーFC→ラヨーンFC→ネイビーFC

Q1 サッカーを始めたきっかけと、ここまで続けてきた理由を教えてください

サッカーを始めたきっかけと、ここまで続けてきた理由を教えてください。

Q2 子供時代、ご両親や周りの大人たちはどのようなサポートをしてくれましたか?
また、どのようなサポートをしてほしかったですか?

父親が庭にサッカーゴールを作ってくれて、チーム練習以外はずっとそのゴールに向かってシュートをしていました。今思うと「どうやって作ったんだろう? すごっ!」という感じ(笑)。感謝しています。あのゴールがなかったら、家でゲームで遊んでいたと思います。今の僕はないかもしれない。

Q3 学生時代、スポーツと勉強を両立できましたか?
また、それ以外に何か時間を費やしていたことはありますか?(アルバイト、恋愛など)

サッカー一色で、特に、中1からはベガルタの下部組織に入っていたので、練習場が遠くて、学校終わってから毎日往復4時間かけて通ってました。それを6年間続けたので、勉強については大きな声で言えないです。だからこそ、勉強も大切、と今は子供達に伝えています。

Q4 どんな高校生でしたか? 高校時代のサッカーにまつわる想い出を教えてください

僕は全く上手な選手ではなくて、中学の3年間は宮城県選抜に一度も入れませんでした。ベガルタの下部組織所属の周りのメンバーたちは当然のように選ばれていて、本当に辛かったし悔しかったです。必ず越えてやる、そう思って練習し続けました。その2年後、日本代表に選ばれて嬉しかったです。

Q5 自分が出ていた試合の中で、印象に残っているシーンを教えてください(複数可)

2013年、ソニー仙台に所属していた時、僕は開幕からベンチ。FW陣が次々に怪我をして、第3節、ようやく先発のチャンスが回ってきて、「このチャンスを逃したら他の選手が怪我から復帰してくる、また試合に出れなくなる」という場面で、先制点を決める事ができ勝利。次の試合も先発で出場させてもらって、ゴールを決めて勝利。その2試合でポジションを確保し、前期が終わる時には得点王争いをしました。それが評価されて、後期はモンテディオ山形へ移籍し、Jリーグ初ゴールも決め、飛躍の年になりました。

Q6 過去に影響を受けた監督は誰ですか? またその理由も教えてください

岩沼西サッカースポーツ少年団団長の佐藤栄治さんです。サッカーが心底好きになれたのは栄治さんがサッカーの楽しさを教えてくれたから。最初に入ったチームで「楽しい」と思えなければ続けていないと思うので。本当に感謝しています。もう1人、ベガルタジュニアユースの時に指導してくれた井上和徳さん。サッカーの基本原則を徹底的に細かく教えてくれました。最低限のルールを守る事で効率よく守備ができ、効率良く攻めることができるという事を学びました。だから僕も「ベースが大切」と子供達に言い続けています。

Q7 海外で、日本とは違うびっくりカルチャーを体験したと思います。そのエピソードを教えてください

監督が練習時間になっても来ない、ということがタイらしくて驚きました。日本では練習2時間前くらいから監督、スタッフは準備しています。毎日30分、遅い時は1時間近く来なくて、来てから練習のマーカーなどを置き始めるので、いつになったら始まるんだろうと困惑しました。最初は逆算してウォーミングアップして準備していましたが、今では自分のトレーニングやケアに時間を使うように。タイはマイペンライとサバイサバイですね。

Q8 休日は何をして過ごしていますか? お勧めのカフェやレストランも教えてください

妻がYouTubeをやっていて、レストランやカフェ、観光地に行ったり日常を撮影しながらタイを満喫しています。Kouen Sush iBarというブッフェにはまってよく行きました

Q9 行ってみたいタイ国内旅行先はどこですか? またその理由を教えてください

プーケットに行ってみたいです。

Q10 サッカー選手にならなかったとしたら、どんな仕事をしていると思いますか? また、興味のある仕事はありますか?

大学で教員免許をとったので、中学か高校の先生になってたかもしれないです。

Q11 サッカーが大好きな子供たちへ、メッセージをお願いします

僕にとってサッカーは人生の全て。サッカーを通して友達や先輩・後輩ができたし、目標に向かって努力したし、失敗もしました。その出会いや経験が人生を助けてくれています。自分を育ててくれている保護者の方が働いたお金でサッカーさせてもらっている、という感謝の気持ちを忘れずに、全力でサッカーを楽しんでください!

杉下聖哉

Seiya Sugishita

●所属チーム: チェンマイFC
●誕生日: 1988年4月15日
●血液型: B型
●出身地:埼玉
●家族構成: 父・母・弟
●経歴: FCクラッキ→ロクFC→鹿島学園高校→尚美学園大学→さいたまSC→スポルティングクラブデゴア(インド)→トラートFC(以降全てタイ)→ラヨーンFC→コンケンFC→チェンマイFC

Q1 サッカーを始めたきっかけと、ここまで続けてきた理由を教えてください

小学生の時、野球よりサッカーの方が人気だったので友達とやっていたら、ひとつ上の先輩にクラブチームに誘われました。それがきっかけです。

Q2 子供時代、ご両親や周りの大人たちはどのようなサポートをしてくれましたか?
また、どのようなサポートをしてほしかったですか?

自由に好きな事をやらせてもらって、送り迎えや、健康に良い食べ物を作ってもらったり、たくさんあって感謝しています。

Q3 学生時代、スポーツと勉強を両立できましたか?
また、それ以外に何か時間を費やしていたことはありますか?(アルバイト、恋愛など)

勉強するのが嫌いで、サッカーと釣りばかりしていました。練習が終わればすぐ竿持ってバス釣りに行くという学生時代です。

Q4 どんな高校生でしたか? 高校時代のサッカーにまつわる想い出を教えてください

いくつかあるけど、今の自分のベースは中高生の時に得たものが全てかな。大学卒業してJ2に行く話もあったけど、行かずにサッカーをやめようとした時、友達に誘われて関東1部のさいたまSCに行って、本当にサッカーが好きな先輩たちの姿を見たのも大きかったです。そこで関東リーグ1部2年連続得点王とベスト11に入れて、次のステップに進むことができました。本当に回りのみんなに感謝してます。

Q5 自分が出ていた試合の中で、印象に残っているシーンを教えてください(複数可)

大学3年の天皇杯県予選決勝。0-1で負けていて、後半ロスタイムにペナ右外で背負いながら受けて反転して右足で決めて、PKで勝って天皇杯に出れたのが今でもめっちゃ印象に残ってます。

Q6 過去に影響を受けた監督は誰ですか? またその理由も教えてください

全ての監督に色んな影響を受けて今の自分がいるけど、一人あげさせてもらうならロクFCの時の浅井重夫監督です。とにかくバカ怖い! シルバーのオデッセイが来ると皆めっちゃ引き締まる(笑)、無名の僕を3年間で技術も心も成長させてくれて、闘える選手に育ててもらいました。今の自分のベースを作ってくれた人なので感謝してます。

Q7 海外で、日本とは違うびっくりカルチャーを体験したと思います。そのエピソードを教えてください

インドでは、もう毎日びっくりの連続でした。まず車のサイドミラーがない(笑)。いやいやヤバいっしょ! と思ってたら、バスやトラックの運転席のドアがないとか、もうビックリし過ぎて焦った。インドは暑いから日が昇るぐらいから練習してたんだけど、朝早くて薄暗い時間に練習場に着くと、できたばかりの綺麗なスタジアムにゴキブリがいるの! なんでなんで? って何日かたったら、それがわかったの。選手がシューズ袋からスパイク取り出したらスパイクの中からゴキブリが4、5匹湧き出てきたの! こいつが毎日運んで来てたんだってわかった時、衝撃過ぎて引いた(笑)。

Q8 休日は何をして過ごしていますか? お勧めのカフェやレストランも教えてください

チェンマイに来てから、釣りする所があんまりなくて、美味しいものを食べに行ったり、疲れてる時は家でゲームしてます。オーガニック野菜を使ったオーカジュレストランが気に入っていて、チェンマイに本店があるのでよく行ってます。バンコクにもあるのでおすすめです。

Q9 行ってみたいタイ国内旅行先はどこですか? またその理由を教えてください

リペ島、サムイ島に行ってみたい。シーズンオフは島巡りが好きで色々行ってるけど、有名どころだとこの2カ所は行ったことがないです。初めての島でジグぶん投げて、何釣れるのかが楽しみすぎてやめられないし、釣った魚を捌いて刺身で食べるのがマジ最高なんです。

Q10 サッカー選手にならなかったとしたら、どんな仕事をしていると思いますか? また、興味のある仕事はありますか?

大学卒業して2年間ゴミ収集の仕事してたから、もしサッカー選手になってなかったら続けてたかもしれないです。興味ある仕事は釣り関係の仕事です。

Q11 サッカーが大好きな子供たちへ、メッセージをお願いします

小さい頃から大きな目標を持って、大好きなサッカーを頑張って欲しいと思います。あとはサッカーをとことん楽しんでやれたらもっと成長できると思います。

片野寛理

Hiromichi Katano

●所属チーム: トラートFC
●誕生日: 1982年4月6日
●血液型: A型
●出身地:千葉県船橋市
●家族構成: 妻・息子
●経歴: 順天堂大→栃木SC→佐川印刷SC→ギラヴァンツ北九州→オーソットパサーM150サラブリーFC(タイ)→BC Rangers(香港)→スコータイFC(以降全てタイ)→トラートFC→シーサケットFC→トラートFC

Q1 サッカーを始めたきっかけと、ここまで続けてきた理由を教えてください

小2の時、地域で1番大きかった高根東サッカースポーツ少年団に入りました。怒られても、試合に出れなくても、辛い時期も、日々学び続け、仲間が一緒にいてくれました。

Q2 子供時代、ご両親や周りの大人たちはどのようなサポートをしてくれましたか?
また、どのようなサポートをしてほしかったですか?

小3の終わりに小学校の部活に入りました。学年が上がるにつれ、市や県選抜に選ばれ、土日は4チーム掛け持ちで練習や試合をしていました。みんな両親に車で送迎してもらってる中、唯一私だけがどの会場も母と自転車で通っていました。中1の時に父が脳梗塞で倒れた時もサッカーを続けさせてくれ、両親には本当に感謝してます。

Q3 学生時代、スポーツと勉強を両立できましたか?
また、それ以外に何か時間を費やしていたことはありますか?(アルバイト、恋愛など)

両立できませんでした。テスト直前に詰め込むタイプ。中学は完全に失敗。成績は決して良いとは言えなかったです。高校入試や大学の定期試験は友達に助けてもらってました。高校の時はサッカーも恋愛も全力投球しました(笑)。

Q4 どんな高校生でしたか? 高校時代のサッカーにまつわる想い出を教えてください

分岐点は毎日あります。サボったり興味が変わったり諦めればいつでも辞めれます。北九州の時は1年間で10分しか試合に出れなかったし、ここ数年は怪我も多いです。でも私はサッカーをやりたくてやっています。息子にサッカーをしてる私をもっと見せたいし、サッカーの世界を伝えたいという思いもあります。

Q5 自分が出ていた試合の中で、印象に残っているシーンを教えてください(複数可)

2009年、北九州の時、J2昇格圏に入る為の重要な試合で、私がペナ内でファールして退場。PKをGKの水原さんが止めてくれて勝利。試合後、水さんに謝りにいったら、俺がいるから心配すんな! と言って肩を抱き寄せてくれました。2017年、スコータイFCとムアントンユナイテッドの試合。当時タイ代表を集めていたムアントンに、0-2ビハインドから私が2点取って引き分けにした試合。man of the match に選ばれました。

Q6 過去に影響を受けた監督は誰ですか? またその理由も教えてください

あえて上げるなら栃木SCの時の柱谷幸一さん。プロのメンタルの強さと考え方を教えてもらいました。北九州の与那城ジョージさんも印象深いです。

Q7 海外で、日本とは違うびっくりカルチャーを体験したと思います。そのエピソードを教えてください

タイ人選手は練習開始時間も遅れるし練習中もダラダラしててすぐ休む。あるタイ人選手に名指しでプレーを指摘したら、監督から「あとは俺が言うから」となだめられました。後からタイ人との接し方を知り、国や所属チームのやり方を知らないといけないなと思いました。

Q8 休日は何をして過ごしていますか? お勧めのカフェやレストランも教えてください

2年ぶりに家族に会いました! 休日はチャン島に行ったり、海やカフェで家族との時間を大切にしています。トラートにもたくさんカフェがあって、店が綺麗でスタッフみんな笑顔で親切に接してくれる『My Name Specialty Coffee』は、焼きたてワッフルが美味しいお気に入りの一軒。

Q9 行ってみたいタイ国内旅行先はどこですか? またその理由を教えてください

綺麗な海も神秘的な山も行ったので、ベタですが水上マーケットやバンコクにある子どもが遊べるスシローに家族と行ってみたいです。

Q10 サッカー選手にならなかったとしたら、どんな仕事をしていると思いますか? また、興味のある仕事はありますか?

最初の夢はパン屋さんでした。その後、教師をしながらサッカーをやっていました。なので教師のままサッカー部の顧問をしていたかもしれません。今は、経験から得た多くの事を多くの子ども達に伝えたいです。またサッカー選手の家族や生活をサポートできる(人生をかけないでも一生懸命サッカーができる)環境を作りたいです。洋服やコーヒーも好きなので、興味が合う人達と一緒に何かやれたら楽しいなと思っています。

Q11 サッカーが大好きな子供たちへ、メッセージをお願いします

サッカーをする時間はサッカーを楽しんで下さい。とことん追求した先に、本当の目標や夢が出てきます。あと、サッカーを楽しんでる姿は多くの人を幸せにできます。サッカーを通して友達や大切な人を笑顔にしてあげてください。

南部健造

Kenzo Nambu

●所属チーム: ラヨーンFC
●誕生日: 1992年8月22日
●血液型: O型
●出身地: 東京都八王子市
●家族構成: 父•母•姉•妹•愛犬ココ
●経歴: 西八王子SC→ヴェルディJr.ユース→ヴェルディユース→中京大学→カターレ富山→ブリオベッカ浦安→FC大阪→カセサートFC(以降全てタイ)→カスタムズユナイテッドFC→ウタイタニFC→ナコンパトムユナイテッドFC→ラヨーンFC

Q1 サッカーを始めたきっかけと、ここまで続けてきた理由を教えてください

小学1の時、友達のお兄さんに誘われました。初めて練習に混ざった時、周りが自分より上手いのが悔しくて、追いつき追い越すを繰り返して気がついたら23年続けていました。

Q2 子供時代、ご両親や周りの大人たちはどのようなサポートをしてくれましたか?
また、どのようなサポートをしてほしかったですか?

両親は何も言わずに僕を尊重しサポートしてくれました。唯一、サッカー中、仲間に対しての発言や態度が悪かったとき、「そんなだと誰も着いてこないよ」と言われたのを覚えています。それと、周りのチームの大人が、子供に対して自分の意思ばかり押し付けてプレーさせているのを見て、そういう指導者に当たらなくて良かったと小学生ながら思ってました。

Q3 学生時代、スポーツと勉強を両立できましたか?
また、それ以外に何か時間を費やしていたことはありますか?(アルバイト、恋愛など)

両立出来ませんでした(笑)。プロになって活躍する! という思いしかなく、練習以外の時間もサッカーの為に時間を使っていました。今は色々な知識や知恵を学びたい欲が大きくなっています。

Q4 どんな高校生でしたか? 高校時代のサッカーにまつわる想い出を教えてください

小学生の頃、毎日放課後に1人で練習をしていて、自分の長所と短所を考えながら練習する癖が付いたので、それが成長に繋がったと思っています。

Q5 自分が出ていた試合の中で、印象に残っているシーンを教えてください(複数可)

タイに来て、4試合目で自分が出場出来なかった時の景色を覚えています。色々な感情を持ちながら試合を外から眺めていた時の事、忘れないと思います。

Q6 過去に影響を受けた監督は誰ですか? またその理由も教えてください

柴田さん(当時ブリオベッカ浦安監督)。ユースの時にもお世話になった方です。愚痴や暴言を選手に吐く指導者も見てきましたが、彼はどんな時も選手の背中を押し続けていました。試合中どんな状況になろうが、常にどっしり構えていてかっこよかった。あんなに監督を勝たせてあげたいと思った事はなかったです。

Q7 海外で、日本とは違うびっくりカルチャーを体験したと思います。そのエピソードを教えてください

サッカーでは、タイは過程より結果にフォーカスする所。私生活では、タイ人のLINE未読無視が多い事…。

Q8 休日は何をして過ごしていますか? お勧めのカフェやレストランも教えてください

基本的に出掛けます。オフの日には好きな物を食べてゆっくり過ごします。バンコクに住んでいた際は、トンロー横丁、TEERA、笹弥で食事をする事が多かったです。

Q9 行ってみたいタイ国内旅行先はどこですか? またその理由を教えてください

チェンマイ、チェンライ。コーヒー豆の栽培が有名なので一度現地に行って見てみたい。

Q10 サッカー選手にならなかったとしたら、どんな仕事をしていると思いますか? また、興味のある仕事はありますか?

ジェラート店を東南アジアに出店したいです。クラブチームを買収してクラブ経営もしたいです。地元の八王子でサッカーと金融知識と食を組み合わせたクラブチームを作って毎年国際大会を開きたいです。講演や執筆もやりたいです。まだあります。

Q11 サッカーが大好きな子供たちへ、メッセージをお願いします

サッカーが楽しい! 大好き! と言う気持ちを大切にして沢山練習してください。そしてサッカーを通して色々な事を学んでいってもらえたら嬉しいです。

by WOM 編集部

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