コラム人生一度きり第33回 見えているのはその人の一部

人生一度きり

第33回 見えているのはその人の一部

 時の経つのは早いもので、あとひと月、10月になると思いつきで始めたタイ生活も5年目が終わる。今年は動きのある年で、タイ人の友人の結婚式のために、ネパールを訪れたり、台湾での文化庁主催の作品展示に夫が招かれた為に出かけたり、3ヶ月毎に一時帰国する日本への行き来以外にも、よく飛行機に乗っているなぁと思う。

 

 そんな折、義父が突然その人生の幕を閉じた。7月20日の事である。偶然一時帰国していた夫がタイに戻る前日の事で、ひと足先にバンコクへ戻っていた私は3日後には再び日本の地に降り立っていた。

 

 義父の葬儀に参列しながら思った事を書いてみたいと思う。私は義父とは夫との結婚を機に初めて会い、この5年間にわずか10回程度しか会っていない。そんな中での私が感じた義父の印象は、「優しい愛のある人」だった。言動の端々からそれは汲み取れた。だが、義母や夫からみた義父の印象とは異なっていたらしい。義母は長い結婚生活の中で、いろいろあったのだろう。義父に対してだけは批判的な態度だったし、その口から夫婦となって良かった思い出話を聞く事もなかった。

 

 母親がその伴侶である父親に対しどんな感情を持ち、どう接するかは、子供達にも大きく影響するものだと思う。特に自分の両親をひとりの人間として多方面から見るのは困難である。よって私の夫も自分の父に対しては、偏った理解しかして来なかったように私には映っていた。

 

 身内だからこそ見えてしまう部分があり、身内だからこそ、見えてこない部分もあるのだろう。往々にして身内への評価は低い事が多いのではないだろうか? それは近すぎる故の甘えや慣れ、遠慮のなさから来るのかもしれない。どんな関係性でも人が見ているのはその人の一部でしかないのだと思った。

 

 故人への思いは、立ち位置、視点、付き合った年月によって違う。葬儀にはたくさんの人が集まった。皆一様に優しい人だった、と涙を流してくれた。その事に一番驚いたのは義母をはじめとする家族だった。それもまた真実なんだと思う。生前に理解されなかった生き方も、その死をきっかけに思いを馳せてみれば、見えなかったものも見えてくる哀しさを感じた。

 

 私も実母とはソリが合わず、離れている。親子といえど、多分どちらかがこの世を去るまで分かり合えない関係もある、と悟ったからだ。悲しいこと、かもしれないが、その視点もまた、身内ならではの感情から来ていると言えるのだろう。

 

 どちらにせよ、人生はいつか終わる。終わるまでの日々は誰にもわからない。今一番近くにいる人と、大切に思う人にはちゃんと大切だと日々言葉に出して伝えようと改めて思った。

by hiroko 「結婚・離婚アドバイザー」

来タイ4年目! ライター、ラジオDJ、普段着物愛好家。着物をもっと身近なものにをモットーに、バンコクFM放送局J-channel、毎週月曜日Morning Kissには着物やゆかたで出演中。リクエスト、メッセージなど大歓迎です

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