コラム 元BANGKOK駐妻通信 第37回 導かれたタイとのご縁

元BANGKOK駐妻通信

第37回 導かれたタイとのご縁

学生時代、バックパックを背負ってアジアを旅行するのが流行っていて、私も長い休みのたびに旅行するような学生でした。先ずはバンコクまでの往復航空券で入り、カオサンロードの旅行代理店でネパールやインド行きの航空券を買ってから各地へ飛び、またバンコクに戻ってタイ国内やラオスを旅行していました。このようにバンコクを拠点として旅をしていたので、必然的にタイ滞在が1番長く、1番多く入国した国となり、大好きな国となりました。そして、いつかタイで暮らせたらと夢見るようになりました。

 

それから10年以上が経ち、大好きなタイで駐妻として住むことになった時、まさかこんな形で夢が叶うなんて! と大はしゃぎでした。しかしながら、そこに駐在するということは、ただその土地を通り過ぎて行く旅行とは違います。ひたすら地味な生活です。暮らすように旅したい、と粋がっていた若い頃とは違って、消極的でつまらない自分に愕然としました。毎日退屈で孤独、夫がいなければ私は何もない人間なんだと落ち込みました。

 

それでも日々は否応なしに過ぎて行きます。最初の2年はなかなか適応しきれず、体調を崩してはしょっちゅう病院へ通いました。一方、夫の計らいで色々な人や企業さんを紹介してもらい、日本語教師の資格を生かして授業をさせていただく機会に恵まれ、タイ人の生徒さんと交流することができました。そのうち、少しずつ友達もできて、駐妻らしくランチやお茶を楽しんだりするようになり、当初感じていた無力感や孤独は薄れていきました。

 

タイでの生活に慣れてきた頃、子どもを授かることができ、タイで出産しました。息子の名前はタイで生まれたので泰生です。冗談みたいな名前ですが、大好きなタイで授かり、出産できたことが嬉しくてそのように名付けました。産後半年で本帰国することになり、こうして約3年間のバンコク駐在生活は終わりました。もっともっとタイで暮らしたかったですが、またタイに呼ばれることを信じ、そのご縁を待ちたいと思います。

瀬川愛子

2012年12月~2015年10月までの約3年間タイ在住。渡タイ前は日本語学校で日本語教師として勤めていました。現在東京にて夫と6歳の息子と3人暮らし

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