特集記事 人文学者と行く、山岳民族の村

人文学者と行く、山岳民族の村

さまざまな民族が暮らすタイ。

少数民族のなかには北部の山岳地域に住む「山岳民族」もいます。

今回は、実際にチェンマイの山岳民族の村を訪ねた椙山女学園大学の樋口謙一郎教授が、タイの山岳民族との出会いの魅力と意義を探っていきます。

●取材・寄稿
椙山女学園大学・樋口謙一郎教授

 

旅は「チェンマイ山岳民族博物館」からスタート!

チェンマイに位置する「山岳民族博物館」は、山岳民族の文化や歴史を探求するための貴重な施設となっており、タイ政府、社会開発・人間保障省の傘下にあります。訪れる人々に山岳民族の多様性と深い結びつきを理解する機会を提供し、彼らの生活や伝統を紹介することで、文化的な理解を促進しています。館内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのはカラフルな展示室。ここでは、彩り豊かな民族衣装や装飾品、手工芸品、農耕道具、伝統的な音楽楽器など、山岳民族の生活や文化を体現する数々の展示物が見られます。展示物は詳細な解説や写真、映像とともに展示されています。この博物館で紹介されているのは、カレン、モン、ユーミエン、アカ、リス、ラフ、カム、ラワ、ティン、ムラブリの10民族となっています。

※「山岳民族」(チャーオ・カオ=山地民)というとき、狭義では、タイ北部の山地において焼畑耕作や採集狩猟を行ってきた非タイ系民族を指します(の場合、水稲耕作民のタイ・ヤイ族などは含みません)。彼らは、北部国境地域の治安や麻薬栽培などの問題の解決、さらに福祉、開発、国民統合などの必要性により、社会開発・福祉局の政策の対象となってきたことから、同省傘下の山岳民族博物館でも上記10民族の資料を扱っているようです

山岳民族の村へGo!

カレン族

最初に訪れたのは、タイの山岳民族のなかでは最大数のカレン族の村。カレン族にも独自のことばがあって、それしか話せない人もいます。水道やガスなどは普及しておらず、炭さえないので、枯れ木で火を燃やします。しかしなぜか電気はあります。そしてスマホも通じます。村では豚なども飼育していますが、お祝いのときにつぶして食べるためで、売るためではないそうです。

何を焼いているかといえば、なんとコウモリでした!ほかにヘビやモグラも食べるそうです

カレン族の高齢者

枯れ木を燃やして火をおこします

アカ族

カレン族の村から少し下ったところにはアカ族の村がありました。アカ族の衣装は、山岳民族の衣装のなかでも、形状の複雑さ、刺繍の細やかさ装飾具の銀やビーズなどの豪華さが際立っていて、とても美しいです。私が散策していると、アカ族のおばあさんたちがやってきました。土産品を買って、記念写真をお願いしました。

旅のヒント

ことばと「民族」

山岳民族の「○○族」とはどういう人々か、を説明する時、学術的には「XX語族の△△語を話す~」と解説されることが多いです。ただ、分類・傾向や歴史的経緯はそうであっても、現実には、そのことばにさらに地域差があることも多く、また複数のことばを話す人もいます。山岳民族を認識・理解するとともに、彼らも私たちと同じ「いまを生きる一人ひとり」であることを忘れるべきではないと考えます

ラフ族

地域の拠点校となっている学校に立ち寄りました。生徒が少なく、複式学級になっています。ラフ語という民族のことばがありますが、ここではタイ語を学ぶそうです。政府からの支援や国際団体の寄付でやりくりしているものの財政は厳しく、最もほしいのは本だそうです。学校の裏には野菜畑や家畜小屋もあり、そこで農業教育も行われており、生産物は児童・生徒が持ち帰って食べたり売ったりしてもよいとのことでした。

避難民
ダルアン族

チェンダオにはダルアン(パローン)族の村がありました。村の女性たちに染物の技術指導をし、買い取りを担団体も来ていて、一連の作業を見ることができました。ダルアン族はチェンマイ山岳民族博物館の解説展示では扱われていません。タイでは主にパローン族と呼ばれる彼らは、元々ミャンマーから逃れてきた避難民でした。かつては不法移民として扱われていましたが、現在はタイ国籍を与えられ、教育や社会保障、村の生活基盤の改善や産業育成も進められています。ただ、そのような政策のもとでは、民族の文化的独自性・固有性はじわじわと薄まっていくという面もあります。少数民族が持つ言語や文化が消滅の危機に瀕するのは問題だと感じます。

染物の指導を受ける村の女性たち

染色中の糸

旅のヒント

山岳民族の信仰

山岳民族の多くは、長らく自然界に宿る精霊を信仰し続けてきました。いまでは、多くのタイ国民と同様、上座部仏教を信仰する人や、キリスト教を信仰する人も増えています

「首長族」の村に行ってみた

タイ北部には観光地化された「首長族」の村がいくつかあり、旅行社のツアーなどで簡単に訪れることができます。女性たちは首に金色の真鍮リングをまとっていますが、子どもと男性は着用しないそうです。ただ、この種の「村」はしばしば「人間動物園」と批判されることもあります。私もこれまで行ったことがなかったのですが、今回は案内してくださった方の厚意で、いつのまにか車が着いていました。

「首長族」はカヤン語(パダウン語)を話し、カレン族の一支族といわれていますが、実態はよくわかっていないようです。タイ国内の少数民族、と説明されることが多いですが、実際はミャンマーから迫害をのがれてきた人々とその子孫が中心で、タイ政府は彼らに生活の権利を与えつつ、かような「村」をつくって「観光資源」としているというわけです。

いつ観光客が来ても良いように、基本的に女性は村にとどまっていなければならないそうです。でも、彼女たちは実に明るく「ここには何でもあるから満足している」と話してくれました。写真はこちらがお願いするよりも先に笑顔を向けてくれて「一緒に撮りましょう」といってくました。歌を歌ってくれたり、首輪をつけてくれたり、こちらの質問に細かく答えてくれたりもしました。金銭の受け渡しも必要ありませんでした。ただ、やはり祖国での迫害がなければ、教育や仕事の選択肢があったと思います。そして、長い首だけが好奇の対象とされるのではなく、彼らのアニミズムや無文字文化などにも人々の関心が向けられるとよいと思います。

冒頭の山岳民族博物館に併設された「民族村博物館」。山岳民族の家屋が展示されており、中に入ってみることもできます

山岳民族の村を訪れる際の留意点とマナー

 

訪問者として最も大切なのは、敬意を持って行動することです。居住地域は彼らの日常生活空間です。その文化や生活様式を尊重し、短期間の訪問でも、長期的な関係や環境への影響に留意しましょう。写真を撮る前には必ず了承を得る、私的な空間に無断で立ち入らないなど、基本的なマナーを守りましょう。たいていの場合、お願いすれば写真撮影などは快く応じてくれます。また、思いがけないトラブルにも注意。私の経験では、民家に続く道をほんの少し歩み進めたところで、女性が水浴びをしていると注意されました。自分で持ち込んだゴミを必ず持ち帰るのも重要です。山岳民族の居住地域には、都市部と同じようなゴミ処理システムがないことがあります。また、山岳地帯は冷えやすく、天気が急に変わることもありますので、服装や雨具などにも気をつけてください。総じて、現地ガイドや通訳に同行してもらうことが、文化的な誤解やミスコミュニケーションの回避につながるといえます。旅行社に相談し、車とガイドをチャーターすることをお勧めします

多様なる山岳民族

タイの山岳民族の、地理的な要因や歴史的な経緯は多様です。もともとは山地で燒畑耕作を行ってきた人々が多く、代表的な山岳民族には、カレン族、アカ族、リス族、ラフ族などがありますが、実際にはさらに多くの民族が存在します。それぞれの民族は、独自の言語、宗教、生活様式、文化的な特徴を持っており、その多様性がタイの社会と文化の豊かさを形成しています。

カレン族の若夫婦。家族なのか、民族衣装を着たおばあさんに話しかけている

山岳民族の「無国籍」問題

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、タイには無国籍の人が50万人以上いるとされています。無国籍者は山岳民族にも多く、その理由は、山岳地域に住んでいるということで実態把握が困難であることに加え、孤児・育児放棄・ミャンマーの内戦から逃れてきた難民やその子どもであるなど、さまざま。彼らは国籍取得に必要な出生証明書や住居登録書を持っていません。

国籍が得られなければ、パスポートの取得などはおろか、高等教育を受けるための公的奨学金も受給できません。大学進学自体は可能ですが、大学卒業までに国籍を取得しないと学位が取得できないといった問題もあります。

山岳民族の無国籍問題は、タイの国籍法や国の安全保障、タイと周辺国の政治状況、経済、人権問題などが複雑に絡み合い、解決が非常に困難な問題です。政府は解決に取り組む姿勢を見せていますが、短期間での問題解決は非常に厳しい状況であるのが現実です。

さらなる学びへ

山岳民族の生活と文化、置かれた状況から、現代の日本人が学べることも多いでしょう。例えば自然との共生です。山岳民族はかつて焼畑農業を行っていましたが、現在ではそのような自然に負荷を与える生活は改善されています。私たちが口にすることのない食材を活用するなど、持続可能な生活という観点から学べることが多いといえます。また、山岳民族が生活や文化を守っているということは、とりもなおさずコミュニティの維持・協力によるものです。物質的な豊かさよりも、家族や隣人との結びつき、自然との関係を大切にする彼らの生活は、物欲や消費社会の罠から抜け出すヒントを与えてくれるかもしれません。

山岳民族のことばの保全は特に喫緊の課題です。タイではタイ族が主流を占め、標準タイ語が重視されてきました。標準タイ語という一言語が普及することは、国の統合や安定につながりますが、一方で地域方言や少数民族言語の衰退・消滅を招くことにもなります。スマートフォンの普及で標準タイ語が一層普及し、山岳民族のことばの衰退が加速していますが、彼らのアイデンティティや文化的知恵が消失を防ぐ取り組みも必要でしょう。

山岳民族の現状からは、私たち自らのルーツや文化を再評価し、後世に伝えていく重要性について考える機会が得られるといえそうです。

「首長族」の村の食事風景。観光施設であると同時に、彼らの生活空間でもある

【参考文献】

綾部真雄「タイを知るための72章(第2版)」明石書店(2014年)
クリスチャン・ダニエルス「東南アジア大陸部山地民の歴史と文化』言叢社(2014年)
日本タイ学会編『タイ事典』めこん(2009年)

※本稿の執筆にあたり、上記の文献を参考にしました(細かな引用注は割愛させていただきました)

【著者紹介】

樋口謙一郎

椙山女学園大学教授。アジア地域研究・言語政策専攻。主なフィールドは韓国だが、近年は消滅危機言語の研究のため、タイ、シンガポールを往来している

by WOM 編集部

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